2013年11月、私は勤めていた会社の昇進試験を受けています。その一週間前に受けていたのは、他社の面接でした。しかも一日に二社です。午前に一社、午後は新橋でもう一社。
外に出る準備をしながら、中で上がる試験を受けていた。
そのときの私は入社6年目、結婚した翌年でした。そして12年後、同じことがもう一度起きます。2025年、私は課長試験を受けて、同じ月に辞めますと伝えました。
違ったのは、結果だけです。2013年の私は残り、2025年の私は辞めた。
何が変わったのか。会社を辞めた話は別の記事に書きましたが、そこには書かなかった時期があります。この記事はその話です。
2013年11月、同じ月に二つ受けた
その年の秋、私は本気で転職しようとしていました。
10月に職務経歴書を作っています。会社帰りにスターバックスへ寄って、土日は図書館へ行って、自分の実績を並べ直す作業です。転職エージェントのカウンセリングで指摘を受けて、そのたびに書き直しました。
紹介されたのは、商社が数社。外資系の製薬会社のMRが数社。それとコンサルティングファームです。
商社は、もともと私が目指していた道でした。学生のころからそう思っていて、結局そこには入れなかった。だから10年近くたっても、まだ引きずっていたんです。MRのほうは自分で選んだのではなく、エージェントに出されたものでした。
なぜ辞めたかったのか。いま振り返ると、二つだったと思います。将来のことと、そのときの仕事にやりがいを感じられていなかったこと。結婚したばかりで、この先どうやって暮らしていくのかを、初めて具体的に考えた時期でもありました。
そして11月14日、MRの面接をハシゴします。その一週間後の11月21日に、会社の昇進試験を受けました。
「その大部分が社内とのやり取りであり」
面接の翌日、不採用の連絡が届きます。
エージェント経由だったので、理由まで書かれていました。前半は褒めてあります。明るくてハキハキしている、いかにもスポーツマンタイプだ、と。後半がこうでした。
「これまで携わって来られたお仕事は、その大部分が社内とのやり取りであり」──だから営業の即戦力になるイメージが持てなかった、という趣旨です。
読んで、納得しました。反発は、まったくなかったんです。
事実だったから。当時の私は印刷の生産管理をしていました。工場と、営業と、協力会社。やりとりの相手は全部、社内か取引先の担当者です。値段を決めて、契約を取ってくる仕事ではない。それを「営業ができます」と言い換えて売ろうとしていたのは、私のほうでした。
家で毎日ごはんを作っていても、それだけでは「料理人です」と言いにくい。腕の問題ではなく、店に立った時間がないという話です。あのときの職務経歴書は、家で作った料理の写真を並べたようなものでした。
方向が決まらないまま、説明会の途中で帰った
11月17日のことは、正直に言うと私自身は覚えていません。ただ、その日に書いた文章が残っていました。
ある大手企業の説明会に行って、SPIと面接を受けずに、途中で帰っています。当日、私はこう書いていました。
「今の、自分の方向性がまだクリアーにはならないままは、受けられないな」
興味はある。やりたい環境でもある。それでも受けられない、と自分で判断して席を立った。
いま読み返すと、この一文がすべてでした。7年後の2020年、私は同じ理由で撤回することになります。上司に辞めますと言って、「なんで辞めたいのか」と聞かれて、答えられなかった。答えを持っていないまま外に出ようとすると、こうなるんです。
2013年の私は、それを自分で分かっていた。分かっていて、まだ用意できていなかった。
そのころ、紙に16個書いていた
その数日前、私は「自分はどうしたいのか」を16個、書き出しています。転職の志望動機を作るためでした。
いま読むと、志望動機というより、欲しいものの一覧です。
- 元気なまま歳を取りたい。自由に使えるお金があって、人が来たくなる家に住みたい
- 残業代で稼がない環境で働きたい。量より質の仕事をしたい
- 庭付きの家を構えたい
- 子どもには、留学や進学の選択肢を増やしてあげたい
- カッコイイ父親になりたい
年収も書いてありました。当時の私は450万円弱です。そこを上げたい、と。
書いた時点では、子どもはまだいませんでした。8年後に生まれる子のことを、先に書いていたわけです。
13年たって、この16個はどうなったか。庭付きの家は買いました。子どもの選択肢の話は、家族で日本を出るという形になった。残業代で稼がない働き方も、いまは業務委託という形で実現しています。
ただし、順番は全部ばらばらです。この紙のとおりに進んだものは、ひとつもありません。
止めたのは、住宅ローンだった
選考は年をまたいで続きます。旅行会社、保険会社、不動産系。一度断った会社を、エージェントの再提案でもう一度受けたりもしました。
止まったのは、2014年2月26日です。その日、私はこう書いています。
「転職は、ローンを借りた後の方が、いいみたい」
そのころ、私は中古マンションを買おうとしていました。住宅ローンの審査は勤続年数を見ます。転職した直後は通りにくい。だから、順番を入れ替えたんです。
翌3月に契約しました。神奈川県内の、海沿いの中古マンション。この家の話は持ち家か賃貸かの記事に書きました。
そして転職活動は、そのまま終わります。
諦めたつもりはありませんでした。後回しにしただけ、という感覚です。後悔もしていません。あの家を買っていなければ、そのあとの選択肢はかなり狭くなっていたはず。
ただ、後回しにしたものは、12年戻ってきませんでした。
💡 ローン審査で勤続年数がどう見られるかは、金融機関と商品によって異なります。ここに書いたのは2014年当時に私が受けた説明で、いまの基準を確認したものではありません。借りるときは、金融機関に直接確認してください。
12年後、同じ月がもう一度来た
2013年12月18日、昇進試験に受かりました。翌年の5月に昇進して、評価もAでした。外に出そこねて、中で上がった年。
そこから先は、長い。2023年に係長になりました。そのときの私は「サラリーマン人生のゴール地点に着いたらしい」と書いています。半分は冗談で、半分は本気。ここが上がりだと思っていたんです。
ところが2025年の8月、課長試験を受けろという打診が来ます。
このときすでに、私は辞めることを決めていました。6月に妻へ「3月で会社を辞める」と伝えています。それでも、断れませんでした。説明会に自動的に参加させられて、試験も受けることになった。
試験日は11月7日でした。そして同じ11月に、私は上司へ辞めますと伝えています。合格の通知が届いたのは、その翌月です。
つまり、受かるかどうか分からないうちに、降りると言った。
12年前と、暦の上ではほとんど同じでした。11月に試験を受けて、12月に受かる。違ったのは、そのあいだに自分が何を決めていたかだけです。
断らなかったのは、そこが管理職の手前だったから
ここが、この記事でいちばん書きたかったところです。
2013年も2023年も、私は昇進を断りませんでした。断る理由がなかったからです。
勤めていた会社では、責任の重さの線が管理職のところで引かれていました。主任も係長も、その線の手前。上がっても、背負うものの性質は変わらない。だったら、受けておいて損はない。辞めるなら、次への覚悟が決まった時点で断ればいい。そう考えていました。
賃貸の更新に似ています。更新料を払ったからといって、ずっと住み続ける義務が生じるわけではない。ただ、次に移るつもりがあるなら、更新の直前がいちばん動きやすい。私にとっての「更新の直前」が、管理職の手前だったんです。
2025年の課長試験は、初めてその線を越えるものでした。
受かれば、次の何年かの居場所が決まる。周りもそう見る。だから、そこで降りました。
昇進を断ることが偉いわけではありません。私は12年間、断らずに受けてきた側です。ただ、線を越える一枚だけは、越える前に決めておいたほうがいい。それだけの話だと思っています。
受かった月に、外を見ている人へ
最後は、読んだ方が使える形にしておきます。
昇進の話と、外に出たい気持ちが同じ時期に重なるのは、珍しいことではありません。会社は評価が固まった人に声をかけますし、本人がいちばん先を考えるのも、その時期だからです。
確かめるとよいのは、次の3つです。
| 確かめること | 見るところ |
|---|---|
| その昇進は、責任の線を越えるか | 管理職かどうか。職務権限、残業代の扱い、降りられるか |
| いま断る必要があるか | 多くの場合、まだない。線の手前なら受けておける |
| 外に出るなら、答えを持っているか | 「何をやるのか」「できるのか」「お金は大丈夫か」に、その場で答えられるか |
3つ目が、いちばん重要です。
引き止めというのは、説得ではなく質問の形で来ます。上手に返す言い方を用意しても意味がない。自分で答えを持っていなければ、その場で作れないからです。私は2013年に一度、2020年にもう一度、それで止まりました。
- 昇進試験の合否より先に、自分の答えを用意しておく
- 断るのは、線を越える一枚だけでいい
- 順番を入れ替えるのは、逃げではない。ただし、戻ってこない可能性は見ておく
※この記事に書いた年月・金額は、私自身の記録(当時のやりとり)で確認したものです。制度や審査基準に関わる部分は、いまも同じとはかぎりません。
会社を辞めるまでに実際にやったことの順番は、昇進が決まった年に会社を辞めた話にまとめています。辞める年のお金の調整はふるさと納税の記事、住まいの決め方は持ち家か賃貸かの記事、20代のころ何を考えて外へ出ようとしていたかは語学留学に460万円かけた話に書きました。

